冤罪とは

冤罪とは、無実であるにも関わらず犯罪を犯したと疑われ、犯罪者としての扱いを受けることをいう言葉です。濡れ衣のことですが、刑事事件などにおいて、無実にもかかわらず被疑者として逮捕、起訴され、刑事裁判を受けて最終的に冤罪であることが証明できたとき、冤罪事件と呼ばれるのです。嘘か真かわかりませんが、問題となっている冤罪には、捜査機関が意図的に犯人を仕立てることで発生する冤罪事件もあり、その場合は冤罪の標的になった人はまさに被害者です。犯人であることの証明も裁判で難しい場合もありますが、それより難しいのがやっていないことの証明です。犯人であることを証明しない限り罪に問われることはほぼありませんが、世間の疑いの目は冷たいものです。犯罪者でない冤罪であることを証明することでも世間の目は変わってきます。冤罪事件を証明するには真犯人が捕まることを祈るのみです。仮に冤罪が確定しても真犯人が見つからない限り被害者家族の気持ちには違和感が残ってしまいます。

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それでも僕はやっていない

話題の映画‘それでも僕はやっていない’。加瀬亮主演の日本映画で、痴漢の冤罪を通してみる被害者や被疑者の気持ちの揺れや冤罪について考えさせられる映画です。ある日、加瀬亮扮するフリーターが通勤ラッシュの電車のホームで女子中学生から声をかけられます。痴漢を疑われるのです。周囲の騒ぎと駅員が近寄り男と女子中学生は駅事務室へ向かいます。このとき、痴漢と言われた側は話せば誤解ということがわかると思い素直に応じて何も行わないのだそう。しかし、駅員質に行くと何もないまま、警察に引き渡されるのです。ここでもまだ警察に促されるままきっと警察署でわかってもらえると信じて向かうのです。しかし、取調室ではとんでもない現実がまっています。事情や意見など一切聞く耳を持たずにただ怒鳴られるのです。そこから男の人生はこの事件とともに変化していくのです。仕事の面接どころでもなくただただ自分がやっていないことを訴える裁判の法廷にわけもわからないまま立っているのです。状況を理解するのにも時間がかかりなすすべはないのです。この‘それでも僕はやっていない’というタイトルは冤罪被害者の心の叫びです。言い訳でもなく、やっていないとしか言えないのです。

痴漢と冤罪

痴漢は決して許せる行為ではありません。女性ならばこの気持ちはわかるでしょうが、痴漢を受けた女性は心から傷つきます。痴漢を行う輩はただ自分の欲望を遊び感覚で満たしているだけの軽い気持ちなのでしょうが、被害を受けた女性からしたらそのストレスや大きいもので、人間として蔑まれたかの印象さえ受けてしまいます。痴漢を受けたことを申し出る勇気もない泣き寝入りの女性が多いのも事実です。だから痴漢の現行犯というのは確実に逮捕され罰せられます。それが本当に痴漢行為ならしかるべき罰です。でもそれがもし間違いなら。。。痴漢であることを訴えられたらそれが冤罪でも覆すことはほぼ不可能なのです。このほど虚言により冤罪事件に巻き込まれた男性はどれだけ人生を狂わせられたことでしょう。男性を痴漢の犯人としてまつり上げ、冤罪事件に巻き込んだ加害者はただ面白半分とお金欲しさという浅はかな考えですが、これは大罪です。痴漢を現実に受けた女性を冒涜している行為でもあります。痴漢も痴漢の冤罪もあってはいけない行為です。こういうまちがった意識がなくなることを望んでやみません。

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Copyright © 2008 痴漢の冤罪の悲劇〜それでもボクはやっていない〜